2022年「川越まつり」/伝統を継続するという事
コロナ禍で各地のお祭りが消えて約三年。
川越市制施行100周も記念し、全29台の山車が巡行する盛大な催しとなりました。全ての山車が出たのは史上初の事だそうです
引っ越してきて初めての川越まつりを経験しました。正直引っ越した当初は
町内会の結束、町の祭りに対する意気込みをあちらこちらで聞いていて
「なんでそこまで祭りに・・」という気持ちもありました。
川越市内のマンションも自治会には加入するようで会所の当番も決まっていました。それだけでも祭りに対しての熱心さをひしひしと感じていて
ちょっと引いていた部分もありました。
朝の9時から街中にお囃子と山車を引く際の掛け声「ソーレイ」が響き渡っていました。山車の大きさが駅ビルが隠れるぐらい!
圧巻でした!そんな大きな山車が29台出た二日間でした。
会所に行くと「2年間生き延びて山車を出せてよかった」と祭りに携る者同士が称え合う姿をみて感動しました。
ご近所同士の付き合いが希薄になった、他人への関心が薄くなったと言われていますが、川越にはまだまだ江戸からの受け継ぐ結束があってそして、祭礼や山車行事など、370年にわたり受け継がれ育まれてきた伝統文化の保存や継承を目的とした川越まつりを次世代に受け継ぐんだという町内の人々の熱い思いも感じました。
各町内の山車が伝統工芸をふんだんに使った豪華な山車の美しさ!
祭がなかった2年間も丁寧に修理と手入れをされていたようです。
川越まつりは、慶安4年、川越藩主松平信綱の命により始められた
神幸祭が起源。
城下町の総鎮守氷川神社が行う「例大祭」と「神幸祭」を根源とする祭祀と氏子、町衆が行う祭礼の山車行事です。
平成28年にはユネスコ無形文化遺産に登録されています。
江戸で行われていた「天下祭」の面影を色濃く残した絢爛豪華な都市祭礼となっています。
午前10時から
「ソーレイ!ソーレイ!」
わが町の山車を背に、わが町の着物を纏い、片手に提灯をにぎりしめ町を練り歩く
先触れが提灯うちわを上げて走り回り、他町内会所、他山車への
挨拶、山車の曳き入れの挨拶をして回る姿も古式ゆかしい姿
山車同士が出会えば山車の上の部分が回り(回し)舞台を回転させ
頭上に響くお囃子の競演。会所の前に止まればまた、山車の上の部分が回り(回し)舞台を回転させ囃子の競演
ぶつかりあいゆらめく無数の提灯のともしび
町の風景が江戸情緒あふれる絢爛豪華な祭礼絵巻となり
いるだけで祭礼絵巻の一部に溶けているような感覚
この祭礼は受け継いでいくべきだな、と肌感覚で分かりました
本川越駅前に山車が6台揃った姿は圧巻でした
ジュエリー 業界の彫金師も80歳まではなんとかやっていたものの
やはり目が見えにくい、後継者が居ないということで辞めていく人もここ数年で多数います。
ジュエリー 制作の中で一番必要な技術は機械でもなんでもなくやっぱり最後は彫金技術なんです。
出来上がりのジュエリーはキラキラ輝いて素敵ですが、実際は0.1ミリの宝石を扱っているから肩もこるし、手も汚れるし、爪の中の汚れも金属の黒いものがとれにくいし、目は疲れる。
どんなにデザインや宝石のカットが進化しても最後はやはり彫金技術
が必要なのです。
長年培ってきた技術、日本の彫金技術を受け継ぐ人を待って
やり続けている熟練の彫金師さんがまだほんの少しいらっしゃいます。
なんとか健在の内に私も技術を吸収したいものです
川越まつりの一番の見どころはなんといっても夜の曳っかわせ。
山車同士が出会うと回り舞台が回転し、山車同士が向かい合い囃子台の上にいる囃子連によるお囃子で競い合います。
特に辻(交差点)では複数台の山車によるお囃子の競演が繰り広げられ熱気であふれかえりました